9月の記事
秋が来た … 秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる
コウモリも … コウモリも出てきて浜の夕涼み
セカンドレイプ … ジャニーズ報道はセカンドレイプだ
別班(VIVANT) … 別班(VIVANT)の存在は許せない
9月の記事
秋が来た … 秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる
コウモリも … コウモリも出てきて浜の夕涼み
セカンドレイプ … ジャニーズ報道はセカンドレイプだ
別班(VIVANT) … 別班(VIVANT)の存在は許せない
別班(VIVANT)
たまたまつけたテレビで、VIVANTというドラマの紹介をやっていた。私は普段はほとんどテレビを見ることもないのでこのドラマも知らなかったのだが、このドラマに「別班」という組織が登場しているらしい。そしてそれは諜報活動や謀略活動を行う警察か自衛隊かの秘密組織らしいということもわかった。
しかし、本当にそんな組織があるのだろうか。もしそうだとすれば由々しきことだ。まさか、とは思ったが、そこで思い出したのは私が高校生の頃にテレビで放送されていた「特別機動捜査隊」というドラマのことだった。警察が犯罪捜査をする場合でも、さまざまな法的、制度的な制約を受けて迅速かつ広域的な捜査ができない、そこで、機動性を重視した捜査部隊を作って、特別機動捜査隊と名付けるという設定だった。ところがこのドラマが好評で、その後、世論に後押しされるような形で実際に特別機動捜査隊が編成されたのである。「別班」はドラマの世界の架空の存在かもしれないが、その影響で実際に「別班」が作られては困るとも思った。
それにしても、今、本当に「別班」はないのだろうか。そう思ってインターネットで検索したところ、「別班」関係の記事がいくつも見つかった。それらを総合すると、政府は公式には「別班」の存在を否定しているけれど、実際には過去に存在した、あるいは現在も存在しているらしい。たとえば、防衛大臣を務めた石場茂氏は週刊誌に「存在している。してなきゃおかしいだろ」と語っているというのだ。ここで問題なのは「存在してなきゃおかしい」という感覚だ。そうでなければ国家として存続できないという意味だろうが、本当にそうなのか、それでいいのか論議をする必要があると思う。
セカンドレイプ
最近、マスコミではジャニーズ事務所の創設者であるジャニー喜多川氏による「性加害」問題が連日のごとく報道されている。これはイギリスBBCの報道や、ジャニーズ事務所に所属していて、実際に性被害を受けたという男性の告発によって大問題になったものだ。日本のマスコミは、長年、この問題を知りつつ報道してこなかったということで非難を受けている。それは当然だ。
そして、今日ではまるでそれを大々的に報道することが正義であるかのような観を呈しているが、私には最近のマスコミの大騒ぎは、大衆のノゾキ見趣味に迎合したマスコミの新たな営業戦略に過ぎないように思われる。ジャニー氏の行為が許されてならないのは当然だし、それを黙殺してきたマスコミの責任も重大だが、その追及は被害者への配慮を伴って行われるべきで、被害者を好奇の目への晒し者にしてはならない。それはマスコミによる新たな人権侵害、いわゆるセカンドレイプだ。
被害者の中には、今も被害意識に苦しみ、ジャニーズ事務所への社会的な制裁を望んでいる人もいるだろうが、逆に自分がそういう被害を受けたこと自体を記憶の底に封じ込めて、今さらその問題を蒸し返して欲しくないと思っている人もいるだろう。いや、むしろそういう人の方が多いのではないだろうか。
しかも、最近では大手企業がジャニーズ事務所所属タレントのCMを打ち切るとか、契約を更新しないとかいう話が出てきているようで、まるでそうすることが正義だというような風潮もあるが、それはとんでもないことだ。被害者を晒し者にしてさらにムチ打つようなことがあってはならない。「惻隠の情」を持つこと、「忖度」できること、それがなくなったらおしまいだ。
コウモリも出てきて
コウモリも出てきて浜の夕涼み。誰の句かは知らないが、いい句だなと私は長年思っていた。でも、今回この文章を書くにあたって調べてみたら、このコウモリというのは市川団十郎のことで、この後に「いなさぬ(帰らさない)いなさぬ、いつまでも」と続くお座敷歌だということが分かった。でも、それを抜きにして俳句として読んでも、いい句だと私は今も思う。自然と共生してきた素朴な生活実感が感じられるように思うのだ。
私がコウモリに興味を持ったのは、ここしばらく、夕方、家の前でコウモリを見ることが多いからである。周囲が暗くなりかかった頃、アゲハチョウより少し大きめの真っ黒な生き物がヒラヒラと飛んでいるのである。アゲハチョウがこんなに暗くなってから飛ぶはずがないし、鳥とは飛び方が違う。いったい何だろうと長い間不思議に思っていたのだが、それがコウモリだと気づいたのは2年ほど前のことだった。
私が住んでいる住宅街では、家々の間に幅も深さも1.5メートル程の排水路が走っているのだが、そこに架けられた橋の下にコウモリが巣を作っているので、駆除するというお知らせが来たのだ。それを見てあれはコウモリだと気づいたのだった。
コウモリはさまざまな病原菌を媒介するということだし、その外見も不気味だ。吸血鬼ドラキュラも、もとはコウモリである。そんなことから嫌われるのだろうし、それは仕方のないことだが、日本にはコウモリを吉兆とする見方もあったらしい。先にも書いた市川団十郎の家紋がコウモリだったのはそのためだろう。
この時期、夕空を飛び回るコウモリには風情がある。コウモリも出てきて里の夕涼み、と、しゃれてみたい。
秋が来た
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる
これは、平安前期の歌集、古今和歌集に収録されている藤原敏行の和歌である。私この歌が好きで、毎年夏の終わりになると私の心に浮かんで来たものだが、今回調べてみるまで、いつの時代の誰の歌かも知らなかった。しかし今回調べてみて、日本人はこんなに古くからこういう感性を持っていたのだと感じてうれしくなった。
この歌は、現代の暦でいえば8月末頃の歌だろう。今は季節がもう少し進んでいるようで、夏の太平洋高気圧の勢力が衰え、不安定な天気が続いている。空に雲が多くなり、天気がめまぐるしく変わって、毎日のように5分か10分くらいの短時間の雨が降っている。
たいていは道も濡れない程度の小雨だが、時には激しい夕立のように降って、傘を持っていない下校途中の中学生や高校生が、全身びしょぬれになって走っていくこともある。夏のなごりか、時には稲妻が走り雷鳴がとどろいて、恐怖を感じることもある。
先日、湖岸道路を走っていた時のことだ。車が何百匹ものトンボの群れに突入してしまった。何十匹ものトンボが次々に車のフロントガラスに迫ってくる。もしトンボがフロントガラスにぶつかれば死んでしまうだろうし、フロントガラスも汚れるに違いない。慌ててブレーキを踏んだが、幸い一匹もフロントガラスにぶつかったトンボはなく、車は2,3秒でトンボの群れを抜けた。トンボがうまく衝突を避けたのだろうか、それとも車が生んだ気流に流されたのだろうか、いずれにせよ良かったと胸をなで下ろしたのだった。
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