2023/10/31

                                  10月の記事


いずれまた会いましょう …… いずれまた、あの世で会いましょう

コインランドリーの怪    ……  コインランドリーが増えたのはどうして?

母のこと(4)          ……   戦争に負けて、 母は一時、宗教にはまった

文化講座の講師          ……    文化講座の講師になった!

コップ一杯の水          ……    コップ一杯の水分子が米粒の大きさだったら?

よかった!                ……    散乱した生ゴミはきれいに片づけられていた

時空を越えて            ……        不思議だ。60年も昔の「三つの歌」の夢を見た

結構生活42年(1)    ……   私はケンカできる女性と結婚した 

結婚生活42年(2)    ……   結婚生活は連日がケンカだったが…

結婚生活42年(3)    ……   こどもが出来て多少はケンカが減った

星が見えない              ……   なぜだろう。星が見えなくなった。

インタビューで困ること  ……    「ダンナ」、「ご主人」は何と言えばいい?

ヒガンバナの異常          ……    今年はヒガンバナの開花が遅かった

ケムシのこと                ……    私はケムシ君を逃がしてあげた

甘くはないね             ……     残念、文化講座の参加はたった2名だった

再び「解散命令」について……   気安く「解散命令」と言うな

フリースクール           ……  観念だけでフリースクールを論じるな

今日のショック           ……  隣の家の藤棚が重機で壊された

性別適合手術              ……   私は性別適合手術に反対だ

民族主義に反対           ……    「国民の愛唱歌」の思い出

「待つ」ということ      ……   「待ち続ける」ことが大事だ

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                                     「待つ」ということ


 私は最近、私の制作しているラジオ番組の関係で、イ・サンクム(李相琴)さんの「半分のふるさと」という本を読み直す機会があった。これは、戦前、朝鮮人への厳しい差別があった日本で少女時代を過ごした李さんの体験を描いた本である。そのカバーに「待つということがどんなに大切な体験であったかを、私は私の生涯を通じて、すでに何度も確認している」という一文があった。厳しい差別の中でも、決してあきらめず、絶望せず、自分や自分を取り巻く社会のあるべき姿を思い描きながら生き続けるということ、それが李さんの言う「待つ」ということばの意味だろう。私は改めて感動した。

 宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」という詩は「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ…」と、延々と自分の理想を書き綴って、最後は「ソウイウ者ニ私ハナリタイ」と締めくくっている。「銀河鉄道の夜」などの作品は読んでいると怖くなるので私は好きではないが、この詩だけは大好きだ。この詩も「待つ」ことの大切さを書いているのだが、読めばすぐ分かるように「待つ」というのは単に何かを期待して時を過ごすということではなく、自分自身がより良く生きるということが大前提にあるのだ。

 こういう感覚は、宗教的なものだろう。それは仏教だけではなく、キリスト教でも基本的な徳目とされているのようだ。アメリカの作家、ホーソンの「大きな石の顔」や「緋文字」も、まさに「待つ」ということの大切さ、素晴らしさを描いた作品である。ビートルズのLet it Be もそのような曲だ。「苦難の中にある時は(神の叡智に任せて)じっと待ちなさい。そうすればやがて光が見えてくるだろう」と歌っている。そんなふうに生きること、待つこと自体が価値だと言っているのである。

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性別適合手術             民族主義に反対          「待つ」ということ 

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                                       民族主義に反対


 私がまだ小学生だった頃、NHKで国民の愛唱歌を作ろうというキャンペーンが行われた。愛唱歌にふさわしい歌詞を一般から募集して3編を選び、それにプロの作曲家が曲を付けてラジオで放送し、どれが最もいいかを視聴者の投票で決めようというのである。その中で私が覚えているのは2曲だ。その1曲は「国が桜の花ならば、1人1人が花びらだ」などというような勇ましい歌詞で、それに軍歌調の曲が付けられていた。こんなのは論外だと私は思ったのだが、これが一位となった。

 私はどの曲も嫌いだったが、最もマシだと思ったのは「あなたも私も僕も君も、小さい昔が同じです。モンシロちょうちょに赤とんぼ…」という歌詞に、童謡風のメロディーが付けられた曲だった。私は日本人でこういう幼少時代を経験しているし、私の周囲の多くの人も同じである。しかしそういう人だけが日本人なのかと、私は小学生ながらもこの曲に偏狭な民族主義を感じた。

 今にして思えば、この企画は右翼団体が発案してNHKがそれに乗せられたのだろうが、小学生だった私はこれは国家プロジェクトのようなものだと思い込んで、日本がまた戦前のような国になるのかと恐ろしく感じたものだ。どこで生まれ、どのように育った人でも、この日本の土地で幸せに暮らしていきたいと望む人はすべて日本人だ。もう少し正確に言えば、日本国憲法を受け入れるすべての人を日本人と認めるべきだ。本来、国家というのはある基本理念に即した法体系と、それに基づいた統治機構を持った集団のことだからだ。

 最近、世界各国で民族主義が台頭し、右翼政党が支持を伸ばしているらしい。日本も例外ではないが、それに呑み込まれてはならないと、私は思っている。

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                                      性別適合手術


 今回、最高裁の大法廷で性同一性障害特例法の一部が憲法違反であるとの判決が出されたという。この法律では性別を変更するためには「生殖機能がないこと」つまり精巣や卵巣を切除することや、性器が「変更後の性別の性器に似た外観であること」、つまり、男性が女性になるなら陰茎をなくして膣を作る、女性が男性になるならその反対の手術を受けることが条件になっているのだそうだ。それらについて争われたのだが、前者については違憲と判定し、後者については高裁差し戻しとして判断を保留したという。

 私はこのニュースを聞くまで、性同一性障害特例法にそんな規定があるとは知らなかった。男性器を女性器のような外観にしたり、女性器を男性器のように変えたりする性別適合手術というのがあることは知っていたが、それは性別の変更を望む人の行き過ぎた願望であり、それを引き受けるのは悪徳医師だろうくらいに考えていたのだ。陰茎を作るためには結腸の一部を切り取って整形し、それを移植したりもするようだが、それはまるでフランケンシュタインを作るような醜悪なことだと考えて、性別適合手術そのものに反対だったのである。

 「身体髪膚これを父母より受く。あえて毀損せざるが孝の始めなり」ということばがある。私はこれを深く味わうべきだと思う。父母とか孝とかはともかく、私たちは生物としてまず身体を持って生まれてくる。私たちにとって体は与件、つまり大前提なのだ。精神(心)がそれを望むからといって、安易に作りかえるべきではない。性別の変更を望むならジェンダーとしての性別変更は認めるべきだが、そのために性別適合手術を法的に強制するなどもってのほかだと私は思う。

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                         今日のショック


 私の家の隣には広い敷地に建てられた旧家がある。もとは庄屋さんだったということで、虫小窓という格子がはめられた江戸時代風の大きな家の隣には白壁造りの蔵があり、普通の家の敷地何軒分もありそうな広い庭の一部は畑で、一部は砂利が敷かれ、一部には藤棚も作られていた。その周囲には槇の樹やサクランボのなる桜の樹もあった。そして人間の背丈の2、3倍にも育つカヤの茂みもあった。ここには2,3年前までおばあさんが1人住んでいたが、そのおばあさんも今は特養に入っていて、ここしばらくは空き家になっていた。

 とはいっても、近くの街のマンションに住んでいるその息子さんがしょっちゅうこの家に来て、畑仕事をしたり庭の手入れをしたりしていた。とてもフレンドリーな人で、会えば必ず話しかけてくるし、畑で取れる野菜をくれることもあった。ところがその息子さんが、今年の7月、ガンでなくなった。でも、急なことで、私にはその人が亡くなったという実感が湧かず、私はその後も勝手に庭に入り込んで庭の花を眺めたり、手入れする人がなくなった庭の雑草を抜いたりしていた。

 ところが、今日、その庭に重機が入って藤棚が撤去され、その辺り一帯が整地された。桜の樹も槇の木も圧倒的な重機の力でへし折られ、その根も引きちぎられた。隣家の息子さんが何十年も愛情を込めて手入れしてきた藤棚が、ほんの2,3時間で消滅したのだ。これはショックだった。彼が亡くなったのだという強烈な思いが襲ってきた。人がなくなるというのはこういうことだ。その人の痕跡が暴力的な力で消し去られるのだ。

 花壇や畑、松の木などはまだ残っている。せめてこれらはできるだけ長くと思うのだが、その保証はない。

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                                      フリースクール


 最近フリースクールに関する東近江市長の発言が論議を呼んでいる。報道によれば「フリースクールは国家の根幹を崩す」とか「不登校の大半は親の責任」などと言ったらしい。私自身はラジオ番組の制作を始めてから、フリースクールの関係者にインタビューして、彼らが学校に適応できない子どもの問題に真剣に取り組んでいることを知っているので、フリースクールを否定するつもりはない。しかし、学校教育が国家の根幹だとしてフリースクールを疑問視する見方もそれなりに理解できる。時代の流れだからとフリースクールを礼賛する現代の風潮に、私は疑問も感じているのだ。

 私がこのように思うのは、私自身の体験も関係している。私は小学校に入学してしばらくの間、他の子どもに対しても先生に対しても一言もことばを発することのできない完黙少年だった。例えば、授業中オシッコをしたくなっても「トイレに行かせてください」と言うことができないので、全身に脂汗をかきながら1時間でも2時間でもオシッコを我慢した。もちろん友だちは1人もいない。だから学校生活で最も苦痛だったのは、休み時間や弁当の時間だった。

 当時の私には学校を休むなどという選択肢はなかったが、もし1日でも休んだらそのまま不登校になっていただろう。最近、あの頃フリースクールがあったらどうだろうかと思うことがある。私はそれで救われたかもしれないが、完全にダメになっていたかもしれない。

 こどもを育てるというのは難しいことだ。大人がそれぞれの思い込みで気安く、ああだ、こうだと決めつけられるものではない。子ども1人1人事情が違うのだから、それを踏まえたリアルな論議が必要なのである。

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                                     再び「解散命令」について


 以前、旧統一教会に対する解散命令について書いたことがある。宗教団体に対する「解散命令」というのは、宗教法人としての認可・優遇措置を取り消すということだ。行政用語・司法用語としてはそれでいいのかもしれないが、一般に誤解を与えかねないことばだから気安く使うべきではないという趣旨だった。ところが、最近、旧統一教会の調査が進んで政府による裁判所への「解散命令」請求が現実味を帯びるに連れて、再びこのことばがマスコミをにぎわしている。

 これが宗教法人の認可取り消しのことだと分かっている人はいいが、「解散命令」が出たら、会員(信者)が宗教的な催しをすることはおろか、会員が集まることや、互いに連絡を取りあうことさえも禁止されるのだと思い込んでいる人が、私の周辺にもいる。もし、政府や司法当局がそのような命令を出すことができるとすれば、それはまるで治安維持法であり、結社や集会の自由を保障した憲法に明確に違反する。私が心配するのはその重大な「解散命令」ということばがこともなげに使われ、その結果、政府がどんな団体に対しても「解散命令」を出す権利を持っているかのような誤解を多くの国民に与えてしまわないかということである。

 それでも、こういう懸念を持っている人は少ないらしく、私はテレビニュースでも、ニュースショーでもそのことを指摘する発言を聞いたことがない。それどころか、まるで「解散命令」を出すことが正義であるかのような報道ばかりが目立っているのだ。政治権力はどんな団体にも「解散命令」など出す権利はない。法律から「解散命令」という用語を削除すべきで、当面は「宗教法人の認可取り消し」と言い換えて欲しいと思う。

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                                    甘くはないね


 私が担当する「大人のための科学教室」「物理大好き」という文化講座の受講者は、他の講座とともに9月始めに募集が始まった。主催者が発行する講座案内のチラシに掲載されて、新聞に折り込まれたのである。そして、9月の21日に体験講座が行われたのだが、それまでの応募者は「大人の…」が1人、「物理…」が2人ときわめて低調だった。募集が始まるまでは、部屋の定員20人を超えたらどうしようか、などと考えていた私にしてみれば、全くの期待はずれである。

 そこで私は独自に広告を出すことにした。主催者発行のチラシでは、ほんの数行紹介されただけだから目立たなかったのだろうと考えて、ハガキ大の広告を地方紙に掲載してもらったのである。掲載部数は2万4千部で料金は2万6千円、私にとっては大きな出費だったが、これで5人や10人の受講者は集まるだろう、これは一種の投資だ、と考えたのである。ところがこれも大外れ、広告を見たという1人から会場に問い合わせがあったそうだが、結局、参加してはくれなかった。おまけに体験講座に来た高校生1人も参加を止めてしまったのだ。

 私が文化講座の開設を申し入れた時、会場の担当者から「最小の開講人数は何人にしますか」と聞かれた。私としては10人くらいと思っていたのだが、私の意気込みを示したいと思って「1人でも希望者がいたらやらせてください」と答えた。その結果、どちらの講座も開設されることになって、先日その1回目が終わった。受講者が1人ずつで寂しかったが、2人とも意欲的な様子だったので、私としては満足した。今回2人のために全力投球し、それを手がかりに、2回目、3回目の講座も開きたいと思っているのだが、さてどうなるだろうか。

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                                   ケムシのこと


 私の家に縦30センチ、横40センチ、深さが20センチくらいのプランターがある。このプランターには、今は何も植えていないのだが、深さ10センチほどの土が入れてある。昨日たまたまその中を見たら茶色の大きなケムシがいた。長さは5,6センチで胴体の太さは1センチ程度なのだが、モジャモジャの毛が生えているので、見た目には2,3センチの横幅に見える。どこから入り込んだのかは分からないが、まるで出口を探しているかのように、プラスチックの外壁に添ってグルグル回っているのだ。外壁をよじ登れれば外に出られるのだが、滑ってしまうので登れないらしい。

 私はもともと毛虫は好きではない。以前、高校に勤めていた頃、桜の木の下で休んでいたら上から何匹かのケムシが降ってきて、思わずギャーと叫びそうになったこともある。庭の草むしりをしている時、知らずにケムシを掴んで刺されて、手のひらを赤く腫らしたこともある。そのときは、2,3日痛みが取れなかった。 

 さて、昨日はプランターのケムシをそのままにしておいたのだが、今日、もう一度プランターを見たらケムシはまだいて、昨日と同じようにプランターの外壁に添って走り回っていたのである。相当な速さだ。一周するのに30秒くらいしかかからない。昨日、私が見ていた時だけでも10周か20周は走っていたが、私が見ていない時も走っていたのだろうから、もう何百周も何千周も走ったに違いない。そう思うと私はこのケムシが不憫になったので、木の葉ですくい上げてプランターの外に出してやった。すると猛烈な速さで走って、枯葉の下に姿を隠した。そこで、私はケムシに言った。「一度は助けてやったからね。後はおまえ次第だよ」と。

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                                   ヒガンバナの異常


 「毎年、彼岸(秋分の日)の10日くらい前に最初のヒガンバナが咲く。その後、彼岸の1週間くらい前から次第に増えて、彼岸の頃に満開になる。その状態は9月いっぱい続き、10月に入ると急速に枯れてしまう。これはその年の気候条件とは関係がない。それが不思議だ」。私は長年そう思ってきたし、文章にも書いた。

 ところが、である。今年は彼岸の10日前になってもヒガンバナを見つけることができなかった。不思議に思って車であちこちを走り回ったが、それでも見あたらない。真っ赤なよく目立つ花なのに、である。結局、最初のヒガンバナを見つけたのは、彼岸の4日前のことだった。その後の経過も、例年より1週間ほど遅れて、満開になったのは9月末、しかも例年より数が少なく、場所によっては半分くらいしか咲いていないようだった。

 そんな時、新聞で「今年の夏は猛暑が続いたので、ヒガンバナの開花が遅れている」という記事を読んだ。実際、今年の夏は猛暑で、7月から9月にかけての平均気温は平年よりも2度ほど高かったという。でも、もしそうだとすると「ヒガンバナの開花は気候条件に関係ない」という私の認識が間違っていたことになる。

 そもそも、花の開花時期が気象条件に影響されないなどということは常識的には考えられない。特にヒガンバナの場合、日照時間より地温が影響するはずだからだ。だからこそ私は不思議に思っていたのだ。でも、今になって思えば「開花時期が気候条件に影響されない」というのは、「一定の範囲内なら」という限定条件付だったのかもしれない。もしそうだとすると、今年の猛暑は「一定の範囲」を越えてしまっていたことになって、最近の気候変動がますます不気味なことに思えてくる。

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                                   インタビューで困ること


 私は「この人に会いたい」というラジオのインタビュー番組を制作しているのだが、そのインタビューで困ることがある。それは、インタビューの相手の配偶者をどう呼ぶかだ。相手が男性であれば、その配偶者は「奥さん」と呼ぶ。この「奥さん」ということばも元をただせば差別的な意味を含んでいるが、社会的に広く使われていることもあって、あまり抵抗感なく使うことができる。ところが、女性にインタビューしている場合、その配偶者を「ご主人」とか「旦那さん」と呼ぶのには、ものすごい抵抗感がある。これらのことばは、男性中心社会でのあきらかな差別用語だからだ。

 でもこれに変わる適当なことばはない。その人の名前を知っている場合は名前で呼ぶが、知らなければどうしようもない。英語ならごく自然に「ユアハズバンド」ということができるが、日本語で「あなたの夫」と言うのは失礼な感じがする。だからといって「夫さん」では、マンガだ。こんな言い方をしたら「私の夫はオットセイじゃありません」と叱られそうだ。もちろん「配偶者さん」でも「連れ合いさん」でもダメだ。一般の放送ではどう呼んでいるのかと注意して聞いているが、あまりそういう場面には行き当たらない。だから配偶者の話は避けることが多いのだが、どうしても必要な時は仕方なく「旦那さん」、「ご主人」と呼んでいる。

 似たようなことは私の個人的な生活の中にもある。結婚してからずいぶん長い間、私は自分の妻のことを「家内」と呼んでいた。「妻」などということばを使うのが気恥ずかしかったし、世間的には「家内」の方が通りが良かったからだ。その私が自分の妻を「妻」と呼ぶようになったのは、ほんのここ10年ほどのことである。

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                                   星が見えない


 どうしてだろう。最近どんどん星が見えなくなっている。晴れた日の夜、空を見上げても、いくつかの1等星と2等星、それに惑星くらいしか見えないのだ。これでは星座の形をたどるのも難しい。2,3日前の朝4時頃、外に出たら、オリオン座がくっきりと見えていて、それはそれで感動したが、それでもその背景にあるはずの無数の星々は見えなかった。年を取ったせいで私の視力が落ちたのだろうかと思って何人かに聞いてみたが、みんな同じだという。

 私は田舎の農村の生まれである。中学生の頃、毎晩流れ星の観察をしていたことがあるが、そのころは文字通り満天の星空で天の川もきれいに見えた。東大阪市の工場地帯に住んでいた大学の頃は、スモッグで視界が悪くなったとマスコミは騒いでいたが、それでも秋から冬にかけての晴れた夜には降るような星空を見ることができた。そして50年前、教師になった私はここ、彦根に移り住んだ。その頃も、降るようなとまでは言えないにしても、たくさんの星が見えたし、時には天の川が見えることもあった。

 それから50年。この間に彦根の街がそれほど変わったとは思えない。たしかに、お城はライトアップされるようになったし、町の街灯は増えた。しかし、逆に、ケバケバしいネオンサインは減った。それなのに、星空の見え方がこんなにも変わったのはなぜだろう。もしかしたら、地球温暖化の影響で上空の水蒸気量が増えたのかなどとも思うが、実際のところ、よく分からない。いつか街の灯りの少ない田園地帯、山岳地帯、さらに高い山の上などから夜空がどう見えるのかを確かめてみたいとは思っているのだが、まだ果たせないでいる。

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                                     結婚生活42年(3)


 結婚して1年後に最初の子が生まれ、その後、さらに2人の子供が生まれた。その結果として、ケンカも減り、私たちの夫婦関係は変わっていったように思う。

 その理由は、私も妻も、子どもがいる以上、離婚などしてはいけないと思うようになったことだ。そして、子どもの情緒に影響を与えるから、ケンカを控えなくてはならないと思うようになったこともある。しかし、それまでの感覚で私がついつい大声を出すこともあり、そんな時、妻は「子どもの前でそんな声は出さないで」と言った。ただ、それに対しても私は「大声を出さなくても、ケンカをしていればその雰囲気は子どもに伝わるから一緒だ」などと反発してそれが論争の種になったが、それでも大声を出す回数は徐々に減っていった。

 ただ、子育てに関わって2人の間に新しい対立軸ができたのも事実だ。妻は子育てにあたっては育児書に書かれていることに忠実に従おうとした。それに対して、私は自分達の気持ちのおもむくままに育てればいいじゃないかと考えていて、それが新しい対立軸になったのだ。ただ幸いだったのは、妻が最も頼ったのは松田道雄さんの育児書で、その内容は私の考え方に近かったことである。それに松田道雄さんが「べ平連」(ベトナムに平和を、反戦市民連合)のメンバーだった関係で、私が以前から信頼していた人だったということもあった。

 こうして私も妻も子どものことを第1に考えるようになり、さらに子どもの成長を一緒に喜ぶことができるようになって、ケンカの回数は減っていった。それまで連日だったものが、2,3日に1回くらいに減ったのだ。「子はかすがい」などと言うが、全くその通りだと思う。私たちの関係が続いたのは子ども達のおかげである。

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                                       結婚生活42年(2)


 私たちの結婚生活は、連日のケンカから始まった。甘い新婚生活と呼べる時期は、ほぼなかったと思う。私たちは最初アパート住まいだったが、そのアパートで私は大声を張り上げる。私はもともと声が大きい方なので、私の声はアパート全体に響いていたはずだ。ケンカをするのが恥ずかしいと思うほどの心のゆとりはなく、私は周囲に迷惑をかけるのが申し訳ないと思いながらも、興奮するとついそうなってしまうのだった。

 ケンカのあげく、妻がアパートを飛び出していったこともある。最初はもうこれで私たちも終わりになるのかと落ち込んだものだが、その夜、妻は近くのビジネスホテルに泊まったそうで、翌日には帰ってきた。そういうことは、その後も何回か繰り返されたが、私はだんだん慣れっこになっていった。もしアパートを飛び出した妻が、実家に帰ったり、友人の家に転がり込んだりして私への不平不満をぶちまけていたら、たぶん私たちの関係は終わりになっていたと思う。しかし、妻はそれをしなかった。皮肉なことだが、そのことで私は改めて妻を評価し、信頼したように思う。

 私たちのケンカの原因は、相手の人格への不信感ではなく、異なった生育歴や生活体験から来る、日常生活での些細な感覚の違いによるものだった。きっかけは些細なことでも、お互いに譲れないことなので、口論しているうちにどんどん深刻になるのである。そんな中で私は離婚ということを考えることもあった。しかし、「それを言ったらおしまい」という感覚があったので、一度も口に出したことはない。妻もその言葉を一度も口にしなかった。2人ともその程度には賢かったし、相手に対する根底での信頼感は失われなかったのだと思う。

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                        結婚生活42年(1)


 私たち夫婦は結婚して42年になる。私と妻は同じ職場に勤める同僚だったので、お互いに相手のことは知っていたが、恋愛関係にあったわけではない。30才になって1人で暮らすことに淋しさを感じた私が、その女性に、結婚をと申し入れたのだ。それは唐突な申し入れだったが、さいわい彼女はその場でOKしてくれた。

 私たちが結婚するというのは職場の同僚にとっても意外なことだったようだ。後で聞いた話では、同僚の間では、私たちの結婚が3ヵ月もつかどうか賭けをしようという話があったらしい。「3ヵ月もつか」なら賭けは成立しても、「1年もつか」ということになると賭けは成立しなかっただろうという。私も妻も自己主張の強い人間なので、2人がうまくいくとは思えなかったのだ。

 私が結婚相手に求めた条件は二つだった。そのひとつは、私は誰かに取り入ったり、周囲に迎合したりするのが嫌いな人間だったので、そういう生き方をある程度理解してくれる人ということだった。

 もう一つは自分の意志を持っていて、それを主張できる人ということだった。当時は結婚したら男性が主導権を取るのが普通だったけれど、私は「あなたについていきます」というタイプの従順な女性とは結婚したくなかった。私は相手の気持ちを推し量るのが苦手なので、もし私が主導権をとることになったら相手は心の中に不満をため込んでいくことになり、その結果、結婚生活は破綻するだろう、その責任はすべて私が負わねばならないと思ったからだ。私が結婚相手に求めた条件は、普段から夫婦げんかができる人ということだったのだ。

 その私の望み通り、そして職場の同僚の予想通り、私たちの結婚生活はすさまじい夫婦げんかから始まった。

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                                    時空を越えて


 昨夜ふしぎな夢を見た。私がまだ子どもだった頃、NHKのラジオで放送されていた「三つの歌」というラジオ番組に私が出場しているという夢だ。この番組では、伴奏者が何かの歌のメロディーを演奏し、その歌を知っていれば歌詞を思い出しながら演奏に合わせて歌うのである。私は緊張しながらステージに上がった。

 すると楽団の演奏が始まり、私は「粋な黒塀、見越しの松に…」と、「お富さん」の歌を歌い始めた。ところが歌い進めるにつれて演奏とずれていき、やがて演奏されているのは「海は荒海、向こうは佐渡よ…」という「砂山」だと気づいたのである。それでも途中で修正するわけにもいかず、演奏とずれたままで「お富さん」を歌い続けるのだが、どんどん焦っていくという夢だ。これらの2曲で「見越しの松に」の部分と「向こうは佐渡よ」の部分のメロディーが若干似ているようには思うが、なぜ間違えてしまったのかは分からない。

 それにしても不思議なのは、「三つの歌」はもう60年以上も昔の番組だし、「お富さん」にしても「砂山」にしてもそれ以上古い歌なのだが、それがなぜ今夢に出てきたのかということだ。60年といえばほぼ人間の一生で、ずいぶん長い時間だ。でも、夢の中では過去と現在が直結しているかのような、あるいは私の一生がほんの一瞬であったかのような感じがしたのだ。

 それは私たちの記憶が時間を超えて保存されるということかもしれないし、何百億年というこの宇宙の寿命の中では60年などという時間はほんの取るに足りない一瞬だということかもしれない。夢から覚めた私はこども時代の懐かしい思い出に浸りながら、そんなとりとめもないことを考えていたのだった。

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                                      よかった!


 私の住む町内の生ゴミの収集は、毎週、月曜日と木曜日である。そこで、今日、生ゴミを出しにいったら、収集ボックスの金網の扉に「本日の収集はありません」という張り紙がしてあって、いつもは収集ボックスの中にうずたかく積み上げられている生ゴミの袋が一袋もなかった。それを見て、今日は祝日(スポーツの日)だから収集がないのだなと気づいて、ちょっと腹立たしかったけれど、重たい生ゴミの袋を家まで持ち帰った。

 ところで、私の家の近くには隣の町の生ゴミ集積場がある。ここは収集ボックスがなく、ゴミを出す人はたいてい大きめのペールに入れて出しているのだが、袋のまま道ばたに置く人もいる。今朝はそんな人の出したゴミが一袋、路上にあった。私は「これは危ない」と思いながら家に帰ったのだが、1時間ほど経ってそこを見たら、案の定、2,3羽のカラスがゴミ袋を食い破って生ゴミが路上に散乱していた。一時は「私が掃除するしかないのかな」とも思ったが、ちょっと意地悪な気持ちが湧いてきて、「このまま放置したらどうなるか、観察してやろう」と、そのままにしておいた。

 そして昼前、どうなっただろうかとその場を見に行くと、なんと、路上にゴミはなく、きれいに掃除されていたのである。もちろん、誰が掃除したのかは分からない。たぶんゴミを出した本人だろうが、もしかしたらゴミの散乱に気づいた第3者かもしれない。そう思うと、私はゴミを放置した自分に幾分かの後ろめたさも感じたものの、自分の出したゴミには自分で責任を持とうとする、あるいは誰が出したものでも汚ければ掃除して街をきれいに保とうとする、そんな人の気持ちに触れたようで、ちょっとうれしい気分になったのだった。

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                                        コップ一杯の水


 水はH2Oと表される水の分子からできている。ところがその分子はきわめて小さいので、私たちが普段使う水には、とんでもない数の分子が含まれている。今、ここにコップ一杯の水があったとしよう。その水の分子がすべて米粒の大きさになったとしたら、その米の量はどれくらいになるだろうか。皆さんは、その答がお分かりになるだろうか。

 コップ一杯の水は10モルという量で、その分子数は6かける10の24乗である。一方、私が計量スプーンで1ミリリットルの米粒を測り取ってその数を数えたところ、約40粒だった。それをもとに計算すると、10モルの米粒の体積は1.5かける10の17乗立方メートルととなる。これは途方もない量で、これだけの米を地球上にばらまいたとすると、地球の全表面を290メートルの厚みで覆うことになるのである。これには、計算した私自身が驚いてしまった。

 そこで、私は高校の授業の中で、生徒たちにこの質問をした。すると、生徒はバケツ一杯分とか、トラック一杯分とか答えた。これがごく普通の感覚だろう。そこで私が「とてもそれくらいではすまないよ」と言うと、「東京ドーム一杯分」という答が返ってきた。その辺が想像力の限界かもしれない。しかし実際は東京ドーム(容積140万立方メートル)の100億倍で、東京ドームは地球表面にばらまいた米に軽く埋まってしまうのだ。

 私たちは普段、そんなことは全く意識しないで生活している。もちろん、それはそれでいい。しかし、理科の教師としては、コップ一杯の水に6かける10の24乗の水分子が含まれることを突き止めた科学の凄さについても知って欲しいと思っている。

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                                      文化講座の講師


 9月の人声私語の執筆数が極端に減ったが、それはこの10月から文化講座の講師をすることになって、そちらの方に気を取られていたからである。講座というのは一般社会人を対象とした「大人のための科学教室(ふしぎ大好き)」と、高校生対象の「物理大好き(物理はロマンだ)」のふたつである。その構想はもともと持っていたものだが、これを具体化するためにいろんな資料にあたりながら、各回のレジュメを作っていたのだ。その作業に時間を取られたこともあるし、高校の講師をやめた後、久しぶりに講座を持てるということで、気分的にワクワク、ソワソワと落ち着かなかったこともある。

 私は高校教師退職後、地域のコミュニティーFM局から放送するラジオ番組を作りながら、高校の時間講師もしてきた。ところが私が70才になった年から講師の依頼が来なくなり、年だから仕方がないとは思いながらも、寂しい思いを捨てきれなかった。そんなとき、私の知人がコミュニセンターで文化講座の講師をしていると聞いて、「その手があったか」と、講師をしたいという申し入れをしたのである。そして、幸い、私の希望は受け入れられたのだ。

 長年の経験の中で、私には教師の体質が染みついているのかもしれない。それは、私が素晴らしい、凄いと思っていることを1人でも多くの人に伝えたいという思いだ。もしかしたら、教える側として威張っていたい、イイカッコしたいという思いも意識の奥底にはあるのかもしれないが、少なくとも意識の表面では「この世界は素晴らしい」という感動を多くの人と共有したいと考えている。だからこそ「ふしぎ大好き」とか「物理はロマンだ」というサブタイトルを付けたのである。

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                                  母のこと(4)


 母が小学校(国民学校)の頃、優等生だったことは前に書いたとおりだ。そして母は、学校の先生が言うとおり、日中戦争や太平洋戦争は日本が正しく、日本は必ず勝つと素直に信じる軍国少女でもあった。戦争中は女工として軍需工場に入って、そこで空襲も経験したが、それでも日本の勝利を信じていたという。

 ところが出征していた兄は戦死し、日本は負けた。おそらく、それがショックだったからではないかと思うが、軍需工場から家に帰った母は宗教にはまった。村の若い女性達が京都から疎開してきた尼寺の庵主さんの下に集まって信者のグループを作っており、母もそこに参加したのだ。庵主さんは日蓮宗の人だったらしいが、創価学会とは関係がないという。

 母はグループの中でも特に熱心だったそうで、庵主さんは「自分のお寺を譲るから後継者になって欲しい」と母に言ったそうだ。そして私の祖父(母の父親)にもその申し入れをした。ところがそれに激怒した祖父は農作業用の鎌を持ち出し、「この娘の兄は戦死し、この家を継ぐのはこの娘しかいない。どうしてもというなら、この娘を殺して儂(ワシ)も死ぬ」と凄んだという。その結果、その話はなくなったが、同じことを繰り返えされてはたまらないと、祖父は母を結婚させたのである。

 そんな関係から、私が小さかった頃、母はよく信仰の話をしてくれた。「天地宇宙の真理」などと言われるとよく分からなかったが、私の印象に残っているのは「仏というのは人間の外にあるものではない。人間なら誰でも心の中に慈悲の気持ちがあり、それが仏なのだ。仏とはそういう人のことだ。」という母のことばである。そして、それはその通りだと私は今も思っている。

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                       コインランドリーの怪


 ここ2,3年の間に、私の住んでいる彦根市内に何軒ものコインランドリーが開店した。県道沿いの道にもあるし、古い住宅街の中にもある。さらにはドラッグストアーやパチンコ店の敷地の一画と思われるところにもできている。彦根には大学が二つあって、学生向けのアパートも多いので、そういうところに住んでいる学生を当て込んでのことだろう。あるいは、市内の古い住宅が解体されて、次々に新しい家が建てられ、若夫婦が入居しているようだから、そういう若夫婦を当て込んでいるのかもしれない。

 ところが、実際には客の入りはきわめて低調なようだ。特に、私がよく通る湖岸道路沿いの店に客が入っているのは、まだ一度も見たことがない。道に面した正面は全面がガラス張りで店の中がよく見えるのだが、人影が全くないのだ。店の前には車を10台くらい停められる広い駐車場があるのだが、車は1台も停まっていない。そう思って通るたびに見ていたら、しばらく前に3台の車が止まっていた。「おお!」と思ったものだが、ふと気づくとその隣に小さなビルを建てていて、どうやらその工事関係者の車らしかった。

 これで経営者が儲かるはずはないのだが、それでもこんなにたくさんのコインランドリーができたのはなぜだろうか。ここからは私の推測なのだが、コインランドリー設備の販売業者が、土地や小金を持っていそうな人に「コインランドリーは商売の経験がなくても、作っておけば儲かるから」と売り込んだのではあるまいか。もしそうだとすれば、これも悪徳商法の一つである。それも許せないが、無知な隣人がカモにされるのを止められなかった地域社会にも問題があると、私は思う。

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 私の隣の家のご主人が7月に亡くなった。ただし、隣の家とはいっても、普段は街のマンションで暮らしていたので、この家に帰ってくるのは週末だけで、帰ってきた時には庭や畑の手入れをしていた。そんな時には私に親しげに声をかけてくれるので、私も時々その庭に入り込んで何気ない世間話をしていたものだ。私が他人と親しくなるのは珍しく、その人は私が親しみを覚える数少ない人の1人だった。

 年令は私より二つほど上で、死因はガンだそうだ。彼がガンだということは私も本人から聞いていたが、ほんの1ヶ月ほど前にはまだ普段と変わりなく庭仕事をしていたし、私と会話もしていた。だからそんな深刻な病状だとは知らなかった。ところが、7月に入った頃から姿を見かけなくなり、彼が愛情を込めて育てていた花がしおれてきたので、もしかしたら入院でもしたのではないかと思って彼に電話した。「何か事情があるのなら、私が変わりに水やりをしましょうか」というつもりだったのだ。でも、その電話に彼は出なかった。

 ところが、その数日後、彼の奥さんから電話がかかってきた。彼の電話に残した私のメッセージを聞いたというのだ。奥さんの話によると、彼は一週間ほど前になくなっており、私が電話したのはその後だったという。私には青天の霹靂だった。そんなわけで私には彼が死んだという実感が湧かなかった。そこで、その後も時々彼の庭に入り込んでいる。そうしていると彼の親しげな声が聞こえてきそうな気がするのだ。そんな時、私は思っている。「もうこの世では会えないけれど、私がそちらに行ったらまた会いましょう」と。私は死後の世界を信じてはいないが、そう思うと幸せな気分になるからだ。

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