あげる・してあげる
こどもやペットに対して「~をあげる」とか「~してあげる」とか言うことがある。私はそういう言い方に対して違和感を持つことはないのだが、私の妻は「あげる」というのは謙譲語だから、こどもやペットなど、いわゆる目下の存在に対して使うのはおかしいというのだ。妻は高校の国語の教師で、特に古文の専門家だからそういうのもわからないではない。「ことばは時代とともに変わるものだから」と一定の留保は付けながら、それでもこういう言い方には違和感を感じると妻は言う。
では、どう言えばいいのかと訊くと、「やる」とか「してやる」とか言うべきだというのだ。私は「やる」とか「してやる」というのは汚いことばのように感じるし、尊大な印象もあるので、使いたくない。妻は「やる」と「あげる」は使う対象が違うだけで、美しいか汚いかの違いではないという。でも、私が「やる」を汚く「あげる」を美しく感じるのは事実で、それは、長年の間、目上の人と目下の人に対してことばを使い分けてきた歴史の中で「美しい」「汚い」という印象がこれらのことばにしみついた結果かもしれない。
歴史的な経過がどうであれ、私は「あげる」という言い方に謙譲語のようなへり下った雰囲気は感じない。「あげる」というのは何かを与えるということだから、与える方が与えられる者よりも優位性を持っているという感じさえある。それが行きすぎると、謙譲どころか、尊大で恩着せがましいという印象を与えることもある。しかし、そうだとしても、「あげる」「してあげる」ということばには相手を包み込むような暖かさ、おおらかさを感じるので好私はきだ。こどもには「本を読んであげたい」し、ペットの犬小屋は「温かくしてあげたい」。
あげる・してあげる オランダの冬 ほうれい線 ムクドリの警戒心
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