気味悪い人
昔、私が大阪に住んでよく環状線を利用していた頃、駅のホームで1人ぶつぶつ何かをいっている人を見かけて気味悪い感じを受けることがよくあった。たいてい誰かに文句を言っているような感じなのだが、周囲には誰もいないのだ。ちょっと頭がおかしいのではないか、そんな人に近づいたら、不意に線路へ突き落とされるのではないか、あるいは刃物で刺されるのではないかと警戒してできるだけ近づかないようにしたものだ。そういう人の近くに誰もいなかったのは、誰もが私と同じように感じていたからだろう。
その後、電車を利用することが少なくなって、そういうことはなくなっていたが、最近また、大きな声で何かをしゃべったり、笑い声を立てたりしながら私の家の前を通り過ぎていく人を見かけるようになった。たいていは自転車に乗っていて、年格好からすると20才前後なので、滋賀大の学生ではないかと思っている。しばらく気味悪かったのだが、最近になって携帯電話で会話をしたり、お笑い番組を聞いて笑っていたりするのではないかと気づいて、一応は納得した。
とはいえ、こういう現象は将来の気味悪い社会の予兆ではないかと考えると空恐ろしくなる。これまで同じ場所にいる人は最低限の状況を共有しているという安心感があった。例えば駅のホームにいる人ならみんな電車を待っているという意味で、仲間だった。ところが個々人が携帯機器で別々の何かとつながるようになれば、周囲の人々は何を考えているか分からない不気味な人間集団になってしまう。それはひとりふたり頭のおかしい人がいるというレベルの話ではない。私たちはこれからそんな社会を生きていかなければならないのだ。
あげる・してあげる オランダの冬 ほうれい線 ムクドリの警戒心
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