シャンプーボトル
我が家の浴室に、私が40年来使ってきたサンスター「トニックシャンプー」のボトルがある。プッシュ式で、ピストンを押すと適量のシャンプーを手のひらにとることができるボトルだ。詰め替え用のシャンプーが店に売っているので、なくなるたびに詰め替えて使ってきた。いずれピストンが壊れるだろうと思っていたのだが意外と丈夫で、私が結婚してこの家に住み始めて以来、ずっと同じボトルを使っているのである。その間、このボトルは愚直にシャンプーを溜め、忠実に私の手のひらにシャンプーを注いでくれた。
そんなに長く使っているボトルなので、これを見ると私がこれまで過ごしてきた日々のさまざまな出来事を思い出して、懐かしいような、空しいようなふしぎな感覚にとらわれることがある。あのときはあんな思いをしながら、このときはこんな思いをしながらフロに入っていたと思い出しながら、でもこのボトルはそんなことには何の関わりもなくここにあったのだと感じるのである。私の家庭にはその間さまざまな出来事があった。私の周りの人々も社会も同じだ。でもこのボトルは同じようにここに存在し続けているのだ。
私たちは物と一緒に生きている。物を使って、その恩恵を受けながら生きている。そうしながら私たちは年老いていく。でも物はそれとともに変化するわけではない。もちろん、物にも寿命があって、日々、劣化しつつあるのだろうけれど、それは私たちが年老いてゆくこととは無関係なのだ。それは寂しいことだ。
そう言えば、私が今使っているこのパソコンも、もう20年来使っている。何度か修理はしたが、今も愚直に私の要求に応え続けてくれているのである。
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