子どもを守るために
最近、虐待を受けて死亡した子のニュースをよく見聞きし、そのたびに私は生理的な恐怖感を感じて平静な状態ではいられなくなる。その事例の中には、周囲の誰も虐待に気付かなかった場合や、通告を受けた児童相談所が軽く考えてしまった場合、児童相談所相互間の情報共有が不十分だった場合などがあるようで、それらについては個々に検証すべきことだろうが、私はそれが出来るほどの情報を持っていないので、ここではもう少し根本的な問題について論じてみたい。
そのひとつは、子どもを親の持ち物であるかのように見る感覚だ。昔、子どもを虐待した親が周囲からの忠告に対して「これは俺の子だ。煮て食おうと焼いて食おうと俺の自由だ。余計な口出しはしないでくれ。」と居直るというドラマがあった。これは極端な例だろうが、そこまでいかないまでも、子どもをどう育てるかは親がその責任に於いて決めることだという考え方、つまり「親権」を過大に評価する考え方が今も残っている。
もう一つは子どもの「躾」のためには暴力も許されるという考え方だ。今だに「これは躾か暴力か」などというバカげた択一論を聞くことがあるが、躾と暴力は対立概念ではない。目的が何であろうと暴力は許されないということを社会が認識する必要がある。
そして、そのような認識に立って児童相談所の権限を強化すべきだ。「疑わしきは罰せず」が法の原則だが、こと虐待に関する限り、疑わしければ躊躇なく子どもを保護すべきである。親の権利を制限してもだ。法は最も弱い者を守るべきであり、この場合最も弱いのは子どもだからだ。その前提は、子どもは親の所有物ではなく、社会の一員、私たちの仲間だという認識である。
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