母のこと(4)
「母のこと(3)」で、私は母に叱られたことが一度しかないと書いた。同様に母とケンカしたということも一度しかない。それは、母が自分の主張を抑えて周囲の人の考えを尊重するということを、基本としてきた人だからだ。それは子どもに対しても例外ではなかった。しかし、そんな母にもどうしても受け入れられないことがあって、それを巡って私と母は対立したのだった。
母が尋常小学校にいたのは、満州事変、上海事変と日中戦争がどんどん拡大していた時期である。この時代、学校の先生はことあるごとに戦争の大儀を説いていたようで、優等生だった母はそれを真に受けて純粋な軍国少女になったようだ。そして母が女中奉公をしていた頃、太平洋戦争が始まると、母の信念はますます強固になった。そして、終戦を迎えた後も、あの戦争で日本は正しかったし、自分達は純粋な気持ちで日本に尽くしたのだという信念は変わらなかったのである。
そして、私が大学生の頃、私と母はその戦争の理解を巡って論争になった。私があの戦争は侵略戦争だったと言った時、母は当時の新聞論調などを引き合いに出して、あの戦争は仕掛けられた戦争で、日本の戦いは防衛的な戦いだった力説したのだ。母はハルノートやABCD包囲網などの歴史的事実もよく知っていて、論争は平行線をたどった。そして、それにいらだった私がついに決定的なひとことを口にしたのだった。「あの戦争の戦場は中国だった。他国で戦っているのになぜ防衛なのか」と。それに反論できなかった母は不意にボロボロと涙をこぼして論争は終わった。それは私がこれまでにたった一度だけ見た母の涙である。言ってはいけないと控えていたあの一言をなぜ口にしたのか、今も悔やまれる。
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