裁判員制度反対(3)
裁判員裁判反対(2)で、私は犯罪事実の認定に関する問題を論じた。アメリカの場合、陪審員が参加するのは犯罪事実の認定、つまり有罪か無罪かの判定までだが、日本の裁判員制度では有罪と判断された場合の量刑(死刑か懲役刑か、懲役なら何年か)の決定にまで裁判員が参加する。そうなると、他の事件と比較した場合の公平性や、犯罪に至った情状をどこまで酌量するかという点で問題が起こる可能性がある。
まず公平性についてだ。これまでの裁判で公平性を担保してきたのは、裁判官同士の間で暗黙のうちに了解されてきた基準と、過去の判例だろう。しかし、素人の裁判員は暗黙の了解など知らないし、仮に誰かからそれを教えられたとしても、それが法律とか規則とかで明文化されたものでない限り、それに従うべき義務はない。過去の判例に関しても、今ならデータベースで過去の判例を検索することはできるだろうが、素人の裁判員に何百ページも何千ページもの判例を読めと求めることはできないだろう。仮に読んだとしても、そこから一定の基準を読み取ることなど不可能に近い。
つぎに情状に関してだ。たとえば殺人罪の場合、その刑罰は懲役5年から死刑まで大きな幅があるが、それは被告の置かれた立場や犯行に至った経過(情状)が異なるからで、量刑の決定には情状の判断が不可欠である。裁判官は職業柄、それなりにさまざまな人間を知っているだろうが、ごく狭い世界に生き、自分の周囲のごくわずかな人たちしか知らない素人の私たちに、犯罪者の立場や心理が分かるだろうか。また、裁判で斟酌すべきは被告の情状であって、被害者の情状ではないはずだが、素人にその区別が出来るかどうかもはなはだ疑問だ。
二羽のカラス あさきゆめみし ジンと夢に酔うて クラスター爆弾
アメリカへの愛憎 ウソ番組 偽画像と偽動画(1) 偽画像と偽動画(2)
中性化社会 近江天保一揆の実像(1) 近江天保一揆の実像(2)
裁判員制度反対(1) 裁判員制度反対(2) 裁判員制度反対(3)
裁判は復讐ではない 子どもを守るために 母のこと(1) 母のこと(2)
子どもを守るために(2) 給与制限法を作ろう 母のこと(4)
0 件のコメント:
コメントを投稿