「待つ」ということ
私は最近、私の制作しているラジオ番組の関係で、イ・サンクム(李相琴)さんの「半分のふるさと」という本を読み直す機会があった。これは、戦前、朝鮮人への厳しい差別があった日本で少女時代を過ごした李さんの体験を描いた本である。そのカバーに「待つということがどんなに大切な体験であったかを、私は私の生涯を通じて、すでに何度も確認している」という一文があった。厳しい差別の中でも、決してあきらめず、絶望せず、自分や自分を取り巻く社会のあるべき姿を思い描きながら生き続けるということ、それが李さんの言う「待つ」ということばの意味だろう。私は改めて感動した。
宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」という詩は「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ…」と、延々と自分の理想を書き綴って、最後は「ソウイウ者ニ私ハナリタイ」と締めくくっている。「銀河鉄道の夜」などの作品は読んでいると怖くなるので私は好きではないが、この詩だけは大好きだ。この詩も「待つ」ことの大切さを書いているのだが、読めばすぐ分かるように「待つ」というのは単に何かを期待して時を過ごすということではなく、自分自身がより良く生きるということが大前提にあるのだ。
こういう感覚は、宗教的なものだろう。それは仏教だけではなく、キリスト教でも基本的な徳目とされているのようだ。アメリカの作家、ホーソンの「大きな石の顔」や「緋文字」も、まさに「待つ」ということの大切さ、素晴らしさを描いた作品である。ビートルズのLet it Be もそのような曲だ。「苦難の中にある時は(神の叡智に任せて)じっと待ちなさい。そうすればやがて光が見えてくるだろう」と歌っている。そんなふうに生きること、待つこと自体が価値だと言っているのである。
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