あれから30年
今から約30年前、私は「人声私語」というエッセイを書き続けた。朝日新聞の「天声人語」が雑多な知識をひけらかすだけの上から目線の文章だと反発し、それに対抗して新しい言論世界を作りたいという気負い立った思いからだった。しかし、その思いはかなわず、私は2年ほどで「人声私語」の執筆をやめてしまった。
当時私は40代半ば、高校の教員で、3人のこどもたちは小学校や幼稚園に通っていた。毎日が戦場のような慌ただしさで、私は睡眠時間を削って「人声私語」を書き続けたのだった。…… そして約10年前、私は教員を退職して今は年金暮らし。こどもたちはそれぞれ独立して家を出て行った。残ったのは私と妻の二人だけで、それぞれ趣味を持ってはいるものの、30年前の活気と喧噪はなくなってしまった。
この30年を振り返ってみると、ほんの一瞬のうちに過ぎ去ったように感じる。決して手抜きした人生を送ってきたつもりはないのだが、「人声私語」を書いていた時代に比べると、印象が薄いのだ。それは、たぶん、あの時代は文章を書くということで、身の回りの出来事に敏感で、何事にもこだわりを持っていたから、それだけ中身の濃い生活をしていたということなのかもしれない。今回、また「人声私語」を書き始めたのは、そういう充実感を感じたいという思いからでもある。
30年といえば、人生のほぼ三分の一である。私は今73才だから、残りの人生は30年もあるまい。人に会えば「私はもう73だから、人生の半分を生きた。人生の折り返し点だ。」などと強がりをいっているけれど、客観的な自分の位置は理解しているつもりだ。「人声私語」を書きながらその残りの距離を走りきりたい。
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