ほめて殺す
勉強でもスポーツでも、こどもの能力を伸ばすにはほめて育てるのがいいとよく言われる。私も基本的にはそれに賛成である。ほめられれば子どもは自信を持って次の段階にチャレンジしようという意欲も持つ。また、ほめられたことによって自分が周囲から認められていると感じれば、周囲の人々へ信頼感を持つことができるようになり、社会への帰属意識も強まる。
しかし、ほめるということの根底には相手への愛情や理解がなければならない。ところが、最近では単に指導上のテクニックとして「ほめる」ということが流行しているのではないだろうか。たとえば、答案用紙にいくつも花マルをつけるというようなやり方だ。それでは、こどもがほめる側の都合を見透かしてシラケてしまうことにもなり、逆効果になることもあるだろう。
さらに問題なのは、こどもが周りの評価ばかりを気にして、周りから評価されることでなければ本気で取り組まないようになるということだ。それはこどもから自主性や主体性を奪っていることに他ならない。
また、うまくいきそうにない、ほめてもらえそうにないときは、何だかんだの理屈を付けて目の前の課題から逃げるという習性を身につけさせることにもなりかねない。目の前のブドウに手が届きそうにないと思うと、「どうせ酸っぱいに違いない」と、あきらめてしまうのである。心理学で言う「合理化」というやつだ。
勉強でもスポーツでも社会的な活動でも、自分自身の中に意欲が湧いて、それが向上心につながるのでなければ、本物にはならない。そのような意欲を持たせるのが本当の指導だろう。ほめるということが、ほめて殺すという結果にもつながりかねないことに注意したい。
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