栗本英世さん(4)
先の文章で、物乞いの人たちにお金を恵むことを批判する栗本さんの考えを紹介した。その考え自体は私も賛成である。それでも、「でも、そういう事情を知らずに善意でお金をあげる人を頭から非難することはないじゃないか」と私は言った。すると、それまでは穏やかに話していた栗本さんが感情的になって「だいたい、お金で人を救えるなどと考えるのは傲慢だ。そういうことをするのは偽善者だ」と言ったのである。そこで私は「お金をあげるのは、とりあえずお金が必要だと言っているからあげただけで、別にそれで人を救おうなどという大それたこと考えている訳じゃないだろう」と反論して口論になり、議論は平行線をたどった。
私は後にこの論議を振り返って、キリスト教的・西欧的な発想と、仏教的・東洋的な発想の違いが現れたのではないかと感じた。キリスト教ではあくまでも道徳や純粋さにこだわって、偽善を激しく拒否する。それに対して仏教では(少なくとも日本では)「偽善であれ何であれ、結果が良ければそれでいいじゃないか」とうような融通無碍の感覚があるように思う。「偽善も善」とか「ウソも方便」などというのは、この系統の言葉だろう。私自身はこういう考え方が嫌いで、キリスト教的な純粋さにあこがれていたつもりだったが、やはり、体の中に日本的な感覚が染みついていたのだと思う。
さて、その栗本さんは脳腫瘍を患って昨年の4月になくなった。振り返ってみると、私は栗本さんのすべてを受け入れていたわけではないし、栗本さんへの思いも尊敬というのとは少し違うように感じるが、自分の信じるとおり生き、周囲の人々からオカさんと慕われた栗本さんがうらやましいと、心から思っている。
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