「申す」ということば
先に「指導」ということばに関する私の失敗談を書いたが、「申す」ということばにも似たような思い出がある。私が教師になったのは、文部省→教育委員会→校長→教員という序列が強調されていた頃で、それまで職員会議が学校の最高の意志決定機関だということが暗黙の了解になっていた学校が多かったが、文部省は学校運営は校長の専権事項だと言い出していたのだ。
当然、教職員組合は反発し、職員会議は校長と組合が対立する場になっていた。日常のごく些細なことに関しても、校長派の先生は組合派の先生の発言を激しく批判するのが常だった。その際、校長の発言を引き合いに出して、「校長先生も申されたように」と前置きをして、その内容が校長の意向にそぐわないと批判するのだ。
その論争は表面的には激しかったが、それでも私は校長派の先生の「校長先生も申されたように」という言い方に感心していた。「申す」というのは身分の低い者が高い相手に向かって言うということばだ。だから校長先生が「申された」というのなら、校長よりも上の存在があるということだ。でもそれは特定の個人ではあり得ないから、それは集団としての教師、つまり職員会議しかない。校長派の先生たちも、内心では職員会議の方が校長より上位だということを認めているのだ。私はそう思い込んでいたのである。
私がそう思い込んでいたのは、1年以上に及ぶ。ところがある時、彼らが「申された」というのは「仰った」というのと同じで、尊敬語として使われているのだと聞いて、びっくりしたのだった。それは日本語としては間違いだが、世事に疎い私は学校の先生がそんな間違いをするとは思いも及ばなかったのである。
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