お説教屋さん
以前私が高校の教員をしていた頃、小、中、高の先生の合同の研修会があって、そこで小学校の先生から話を聞く機会があった。そのとき私が違和感を感じたのは、小学校の先生の中に、国語で扱う文章や歴史的なできごとなどをいかにして道徳的な教訓に結びつけるかという話をする人も多かったことだ。そういう先生はどんな教材も、最終的には道徳的な教訓話に結びつけるのが教育だと信じて疑わないようだったのだ。
高校にはそういう先生は少ない。と思っていたら、ある先生が卒業文集に「あなた達はこの世は無常だから今を大切にしなければならないことを古典で学びました。今後もそれを忘れずに生きていってください」と書いているのを見つけて、私は「えっ?」と驚いてしまった。たしかに、平家物語などの古典では、「無常」、つまり世の中のすべてが流転するということは大きなテーマだ。しかし私の理解では、それらの作品は無常を嘆いているか、斜に構えて世相を見ているだけで「だから今を大切に生きろ」とは言っていない。
この世が無常であるという自覚が、「今を大切に」という思いにつながることもあるかもしれないが、それは「今さえよければ」という刹那主義と背中合わせだ。さらに、「どうせ無常なのなら、どう生きても同じだ」という投げやりな思いにつながるかもしれない。でもこの先生はどの教材もすべて「この瞬間を無駄にしないで」という教訓に結びつけて授業をしてきたのだろう。
素直な若者の中にはさまざまな教訓を受け入れて、それに従って生きるが望ましいことだと思い込んでいる者も多い。でも、それは若者の知性を眠らせ、精神を空洞化させることだと私は思っている。
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