個性的ということ
今日の新聞に、最近の若者の間では「個性的」ということばがマイナスイメージのことばとして使われているという記事があった。「あの人は個性的だ」と言えば、その人は集団の大勢に従わない自分勝手な人だという意味になるのだそうだ。私は教育現場を離れてもう十年以上になり、日常生活の中で若い人と接する機会も皆無なので記事の信憑性は確認できないが、確かにそうなっていてもふしぎではないと思う。
もちろん昔も自分勝手な人を「個性的」などと言って非難することはあった。しかしそれはあくまでも皮肉としてである。個性的という言い方が皮肉として成り立つのは、本来、個性的ということをプラス価値のことばとしてとらえるという共通認識があればこそだ。もちろん、昔も集団の秩序に従うことは求められたが、それと個性的であることは矛盾するものではないというのが一般的な認識だったのではないかと思う。
私は以前「世界に一つだけの花」という文章を書いた。「世界に一つだけの花」という曲が好きでよくハミングしていた女性が、世の中にはこの曲を嫌いな人もいるとを知って、自分は嫌われているのではないかと、人に会うのが怖くなったという話だ。いくら何でもこれは極端だと思うが、誰かが「マスクを外すべきではない」と言えば自分もマスクをし、「あの店のスイーツはおいしい」と言えば自分も同調するという人はいくらでもいる。
日本社会は同調圧力が強いとよく言われるが、これはそれ以前の問題だ。こんな状態が続けば日本の将来が心配になる。もっとみんなが自己主張できるような、仮にそこまではいかなくても、個性的であることがプラスに評価されるような社会を作れないものだろうか。
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