大河ドラマ
今年の大河ドラマ「どうする家康」は、あまり評判が良くないらしい。でもそれはいいことではないかと、私は思っている。それは、大河ドラマがかつての「電気紙芝居」から、ようやくドラマになりつつある証拠だと思うからだ。とはいえ、私はこれまで断片的にしか大河ドラマを見ていないので、私の独断と偏見もあるかもしれないが、どうかお許し頂きたい。
私が大河ドラマを電気紙芝居と感じたのはもう50年以上も前のことだ。豪華なセットの前に人気のある俳優を並べてきれいな画像を撮り、それをつなげていくという手法である。そこにはストーリーはあってもドラマは感じられなかった。さらに、そのストーリーも主人公を英雄視し、その行動を正当化するもので、そのイメージにそぐわない史実は軽視されてきたように思う。主人公自身が自分を正当化しようとするのはふしぎではないが、ドラマには客観的な視点も必要だ。
でも、一番の問題は「大河」が描かれているかどうかだろう。「大河」というのは「歴史の大河」のことで、人間は誰でも歴史の大河に束縛され、翻弄され、時にはその流れを大きく変えたりもする。その相互作用が描かれていなければ大河ドラマと呼ぶに値しない。戦国武将がどんな作戦を立てたか、幕末、勤王の志士と新撰組がどう戦ったかということ自体は「大河」と余り関係がない。問題は彼らの生きざまの背景にあった当時の社会であり、彼らを突き動かしていたものだ。
かつて私はアメリカの南北戦争を扱った「風と共に去りぬ」や、ロシア革命期の知識人の運命を描いた「ドクトルジバゴ」などを見て感動した。今でもあのような作品が本当の大河ドラマだと思っている。
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