戦うということ
現役の教師だった頃、私は何度か生徒たちに「生きていく上で大切なのは、戦うということだ。そして、戦う以上、勝たなければならない。」と言った。個人的に話している時にもそう言ったし、教室でたくさんの生徒を前にしてそう言ったこともある。
そんな時、生徒は怪訝な顔をすることが多かった。「学校の先生がそんなことを言ってもいいんですか。」というのだ。そんな場合、私は「戦うと言っても、その目的は相手を傷つけたり倒したりすることではなく、自分の思いを実現させることだ。」と答えるのが常だった。そして「先生だからこそそう言うのだ」と付け加えた。
私自身、教師として仕事をする上でヤクザにクレームをつけに行ったり、校長や県教育委員に論争を挑んだりしたこともあった。また、自分の子どものことで私に謝罪を要求してきた父親が、「自分は県会議員や教育委員と親しい。新聞記者や弁護士も知っている。お前をクビにしてやる。」と捨てぜりふを吐いたこともあったが、私は妥協しなかった。仕事の性格上、そういうできごとを他人に話したことはないが、事情を知っている誰かから漏れたのだろうか、私は生徒たちから「武勇伝」というニックネームを貰っていたこともある。
最近、学校では周りと面倒を起こさないようにしようとする風潮があるが、私は反対だ。生徒の保護者はさまざまな要求を学校に突きつけてくる。そのこと自体は正当なことだが、もしその要求が不当なら、教師や学校は断固戦わなければならない。その場合、最も大事なことは、どうでもよいと妥協しようとする自分、怖がって逃げようとする自分との戦いである。「最大の敵は自分自身だ」というのも、生徒に対する私の口癖だった。
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