大萩の集団移転
今から50年ほど前、鈴鹿山脈の中にあった戸数60軒ほどの大萩という村が山の麓へ集団移転した。台風による豪雨で村の裏山が崩れ、その土地が危険だということで、村で相談した結果、集団移転が決まったのである。そこは古くからの歴史がある村で、祖先の墓も村の中にあり、その土地に対する村人たちの愛着もひときわ強かったのではないかと思われる。ところが、最終的には村人全員一致で移転が決まったのだ。
移転先には必要数分の住宅が村人総出の作業で建築された。自治体からの経済的な支援もあったが、それ以外に必要な資金は村人連名の借用書を作って金融機関から借りたのだという。そして、同じ広さ、同じ間取り、同じ外観の家が必要数だけ建てられ、誰がどの家に入るかは入居直前に抽選で決めたのだそうだ。もとの村では豪邸に住んでいた人もあれば、狭い家に住んでいた人もいる。しかし、そういうこととは一切関係なく、全員平等に家を割り当てられたのだという。
大萩では昔から村に関わることは村の寄り合いで決めることになっていたのだそうだ。それも全員一致が原則で、全員一致になるまでは何度でも何度でも寄り合いを繰り返し、ほぼ大勢が決まった後も、反対する者に対しては村の役員がねばり強く説得するのだそうだ。集団移転することも、移転先に同じ規格の家を建てることも、このようにして決められた。おそらく、日本の古い村ではごく一般的なしきたりだったのだろう。
だが、それを個人の自由を尊重する仕組みと考えるか、多数の圧力で少数者を従わせる仕組みと考えるかは、人それぞれだろう。私は大萩の集団移転の経過に感動するが、私自身はそういう村では生きてゆけそうにない。
核の傘から出よう 井戸謙一さん(1) 井戸謙一さん(2) 夏近し
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