嘉田由紀子さん(1)
私が初めて嘉田由紀子さんを見たのは1990年前後だったと思う。そう、「会った」ではなく「見た」である。私の勤めていた滋賀県立高校の職員研修会で、びわ湖研究所研究員の嘉田さんが講演されたのである。私は嘉田さんに対して「清楚な美人だな」と好感を持った。でも、美人というだけなら他にもいたはずだ。そんな中で私の中に嘉田さんの印象が強く残ったのは、彼女が自立した芯の強い女性だと感じられたからだろう。
嘉田さんは埼玉県の旧地主の家に生まれた。戦後の農地改革で家は貧しくなったのに、おじいさんもお父さんも地主の頃の生活を改められず、野良仕事は病弱な母親に押しつけられたという。嘉田さんは幼い頃から母親とともに野良仕事で畑に出て、お母さんからいろんなことを教えられたのだそうだ。その効果もあったのだろうか、進学校に進んだ嘉田さんは成績がトップでリーダーシップにも優れていたので、生徒会長を務めたという。
嘉田さんが大学を受験したのは1969年、東大の入試が中止になった年で、彼女は京大農学部を受けて合格した。農学部という選択には母親の影響もあったかもしれないが、京大を選んだのは京大に「探検部」があって、その関係者が民俗学の調査などで成果を上げていたからだった。小田実の「何でも見てやろう」を読んで、外国のまだ見ぬ土地、まだ見ぬ人々に興味を持っていた嘉田さんの大学入学の目的は「探検部」だったのだ。
ところが当時の京大探検部は女人禁制だった。それに怒りを覚えた嘉田さんは、猛烈に抗議してついに部の規則を改めさせ、探検部への入部を果たす。そしてその一員としてアフリカの農村を調査する目的で、約半年間、たった一人でタンザニア暮らしをしたのである。
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